empathizeの日記

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「価値」ってどうしたら生まれるのだろうか

コンサルティングファーム・コンサルタントの価値(バリュー)とは ...

「価値」

色々な定義の仕方がありますが、人に対しての価値提供を行う時、みなさんは何を想起するでしょうか。

愛情か、お金か、権力か。

 

基本的な俗物に対して色々と語っていてもキリがないので、ここでは詳しくは話しません。

日々の生活だけでなく、顧客に対するニーズに合わせた「価値」を提供すると言ったビジネス用語としても度々使用されます。

 

僕は、物事のあらゆることに対する「価値」についてずっと考えてきました。

人はどんなものに価値を感じているのだろうと。

今回は自分の中で感じた「価値」についてシェアしていきます。

 

 

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僕は「人とは違う」と感じて生きてきた

見出しにもあるように、僕は「何か人とは違う」と感じて生きてきました。

人と違うというのは、例えば五体不満足とか、何かしらの障害を持って生まれたというような話ではありません。

普通に健康的に生活して、今まで紆余曲折ありながらもいろんな活動をしてきました。

 

 

ただ、いろんな人の「普通」が、僕にとっての「普通」ではなかった。

普通であれば子供時代、男はワンピースやNARUTOなどの少年ジャンプにハマるはずなのに、僕は幼稚園時代は何故かプリキュアが好きだった。

修学旅行などで美術館とかに行けば、絵画など殆ど見ずにさっさとお土産コーナーに直行してしまいがちだが、僕はその絵に長時間釘付けになっていて没頭した。

今となっては、男女のパーティーや飲み会で盛り上がったり恋愛話で会話に花が咲いている中、僕はあまり興味がなく、それよりも将来の話やその展望について話すことが好きだったり。

 

とにかく、周りの皆がそうだから自分もそうでなくてはいけないという「暗黙の了解」の縄張りを誰よりも嫌っていたのが僕だった。

 

「普通ってなんだ?」

「誰がこのルールを作っているんだ?」

 

多数決という数の暴力で自分のしたいことも表現できない閉鎖的空間が、僕にとってはたまらなく不快だったのです。

 

 

とは言っても、昔までは我が道を行くということができずに臆病だったので、結局は周りのみんなと同じようなことをしたり、無理やり他人に合わせて本当の自分を押し殺してきました。

 

けれどそれももう限界のようです。

「ああ、僕は人とはそもそも違う性質を持った人間なんだな」

そう言った葛藤を持つようになっていきました。

 

人はすぐに、わかりやすい「結果」ばかりを重視する

YouTubeのとある番組で、「結婚するならどんな人がいい?」というコーナーをやっていました。特に若者に人気な渋谷をターゲットに、20代くらいの女性にインタビューしたりしています。

 

女性が男性に求める結婚像をいろんな人に調査した結果を報告すると言った内容でした。

 

始めはみんな優し目の内容というか、

「優しくて気の利く人」

「男らしくて自分を引っ張ってくれる人」

と言った当たり障りのない話が出ていました。

 

 

しかし、中にはこんな人もいました。

「お金にはそこまでこだわりがありません。二人が生活できるほどのお金があれば」

おお、とても献身的な方だな。

そう思っていた瞬間、実際いくらならばいいですか?という質問に対して、

 

「1000万〜1500万の年収があればいいですかね?よくわかんないですけどw」

 

こう答えていたのです。、

 

ん?こだわりなくて1000万??2人が暮らせる最低額が1000万越えってこと??

 

僕は目を疑いました。

確か厚生労働省の調べによると、日本の世帯年収で1000万円を超えている割合は全体の4%と聞いています。

その4%の対象を、控えめに言っているのかと思うと失礼ながら身震えてしまいました。

 

そのインタビュアーが世間一般的な価値観であったかどうかは別として、こう言ったこともあるんだなと思うと、日本はまだまだ目先のものに意識が向きがちと感じずにはいれませんでした。

 

ちなみにその日から二度とそのチャンネルを見ることはなくなりました。

僕には少し観るのが早かったようです。

 

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本当の「価値」とは何か

先ほどのような、人の価値が目先のものにいきがちになっている現状を再確認した上で、もう一度自分で「価値」の認識について考えました。

 

そこで、僕が行き着いたものが2つあります。

 

1つ目は、価値とは人によって大きく変化すること。

先ほどのチャンネルの話もそうですが、その人が感じる価値観や見える世界というのは人それぞれで、たとえ自分の認識と大きな乖離があったとしても、決して優劣をつけられるものではないということです。

確かに一般常識という定説(というか秩序)は確かに存在しますが、人が何に関して「価値」を見出すかは人それぞれ違うことに気づきました。

それを知ってからは自分が少し楽になったように感じます。

自分の思っている価値観も決して誰かから否定されるものでもないし、それに関して胸を張っていればいいと勇気付けられたのです。

 

2つ目は、「価値」は「異なること」によって意味を成すこと。

今皆さんがスマホを見ても、日常で普通と感じているため「価値」を見出すことはできません。しかしAIや新しいテクノロジーに関しては日常とは異なる存在なので希少性が増し、価値を生みます。

これがミソです。

「価値」とは主観的と同時に客観的とも言える存在。

人と違うこと、異なることでその対象は大きく目立ちます。

そしてそれが「価値」へと繋がって行くんです。

 

 

今まで僕は「異なること」「人と違うこと」に恐れてきた人間でした。

幸い、いじめ等は受けたことはありませんでしたが、「何か人とは違うな」という漠然とした疎外感が常に自分の体にまとわりついていたのです。

しかし、「異なること」が恐怖の対象ではなく、自分にとっての「価値」だと認識した瞬間に、自然と元気が湧いてくるようになってきたのです。

 

「人と違うからこそ新しいものを生み出すことができる」

こう思えるようになれば、その自分が持つ価値を最大限生かすこともできます。

 

社会全体が、自分の持つ「価値」の重要さに気づけば、もっと素敵な未来を作り出すことができるかもしれませんね。