empathizeの日記

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「価値」ってどうしたら生まれるのだろうか

コンサルティングファーム・コンサルタントの価値(バリュー)とは ...

「価値」

色々な定義の仕方がありますが、人に対しての価値提供を行う時、みなさんは何を想起するでしょうか。

愛情か、お金か、権力か。

 

基本的な俗物に対して色々と語っていてもキリがないので、ここでは詳しくは話しません。

日々の生活だけでなく、顧客に対するニーズに合わせた「価値」を提供すると言ったビジネス用語としても度々使用されます。

 

僕は、物事のあらゆることに対する「価値」についてずっと考えてきました。

人はどんなものに価値を感じているのだろうと。

今回は自分の中で感じた「価値」についてシェアしていきます。

 

 

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僕は「人とは違う」と感じて生きてきた

見出しにもあるように、僕は「何か人とは違う」と感じて生きてきました。

人と違うというのは、例えば五体不満足とか、何かしらの障害を持って生まれたというような話ではありません。

普通に健康的に生活して、今まで紆余曲折ありながらもいろんな活動をしてきました。

 

 

ただ、いろんな人の「普通」が、僕にとっての「普通」ではなかった。

普通であれば子供時代、男はワンピースやNARUTOなどの少年ジャンプにハマるはずなのに、僕は幼稚園時代は何故かプリキュアが好きだった。

修学旅行などで美術館とかに行けば、絵画など殆ど見ずにさっさとお土産コーナーに直行してしまいがちだが、僕はその絵に長時間釘付けになっていて没頭した。

今となっては、男女のパーティーや飲み会で盛り上がったり恋愛話で会話に花が咲いている中、僕はあまり興味がなく、それよりも将来の話やその展望について話すことが好きだったり。

 

とにかく、周りの皆がそうだから自分もそうでなくてはいけないという「暗黙の了解」の縄張りを誰よりも嫌っていたのが僕だった。

 

「普通ってなんだ?」

「誰がこのルールを作っているんだ?」

 

多数決という数の暴力で自分のしたいことも表現できない閉鎖的空間が、僕にとってはたまらなく不快だったのです。

 

 

とは言っても、昔までは我が道を行くということができずに臆病だったので、結局は周りのみんなと同じようなことをしたり、無理やり他人に合わせて本当の自分を押し殺してきました。

 

けれどそれももう限界のようです。

「ああ、僕は人とはそもそも違う性質を持った人間なんだな」

そう言った葛藤を持つようになっていきました。

 

人はすぐに、わかりやすい「結果」ばかりを重視する

YouTubeのとある番組で、「結婚するならどんな人がいい?」というコーナーをやっていました。特に若者に人気な渋谷をターゲットに、20代くらいの女性にインタビューしたりしています。

 

女性が男性に求める結婚像をいろんな人に調査した結果を報告すると言った内容でした。

 

始めはみんな優し目の内容というか、

「優しくて気の利く人」

「男らしくて自分を引っ張ってくれる人」

と言った当たり障りのない話が出ていました。

 

 

しかし、中にはこんな人もいました。

「お金にはそこまでこだわりがありません。二人が生活できるほどのお金があれば」

おお、とても献身的な方だな。

そう思っていた瞬間、実際いくらならばいいですか?という質問に対して、

 

「1000万〜1500万の年収があればいいですかね?よくわかんないですけどw」

 

こう答えていたのです。、

 

ん?こだわりなくて1000万??2人が暮らせる最低額が1000万越えってこと??

 

僕は目を疑いました。

確か厚生労働省の調べによると、日本の世帯年収で1000万円を超えている割合は全体の4%と聞いています。

その4%の対象を、控えめに言っているのかと思うと失礼ながら身震えてしまいました。

 

そのインタビュアーが世間一般的な価値観であったかどうかは別として、こう言ったこともあるんだなと思うと、日本はまだまだ目先のものに意識が向きがちと感じずにはいれませんでした。

 

ちなみにその日から二度とそのチャンネルを見ることはなくなりました。

僕には少し観るのが早かったようです。

 

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本当の「価値」とは何か

先ほどのような、人の価値が目先のものにいきがちになっている現状を再確認した上で、もう一度自分で「価値」の認識について考えました。

 

そこで、僕が行き着いたものが2つあります。

 

1つ目は、価値とは人によって大きく変化すること。

先ほどのチャンネルの話もそうですが、その人が感じる価値観や見える世界というのは人それぞれで、たとえ自分の認識と大きな乖離があったとしても、決して優劣をつけられるものではないということです。

確かに一般常識という定説(というか秩序)は確かに存在しますが、人が何に関して「価値」を見出すかは人それぞれ違うことに気づきました。

それを知ってからは自分が少し楽になったように感じます。

自分の思っている価値観も決して誰かから否定されるものでもないし、それに関して胸を張っていればいいと勇気付けられたのです。

 

2つ目は、「価値」は「異なること」によって意味を成すこと。

今皆さんがスマホを見ても、日常で普通と感じているため「価値」を見出すことはできません。しかしAIや新しいテクノロジーに関しては日常とは異なる存在なので希少性が増し、価値を生みます。

これがミソです。

「価値」とは主観的と同時に客観的とも言える存在。

人と違うこと、異なることでその対象は大きく目立ちます。

そしてそれが「価値」へと繋がって行くんです。

 

 

今まで僕は「異なること」「人と違うこと」に恐れてきた人間でした。

幸い、いじめ等は受けたことはありませんでしたが、「何か人とは違うな」という漠然とした疎外感が常に自分の体にまとわりついていたのです。

しかし、「異なること」が恐怖の対象ではなく、自分にとっての「価値」だと認識した瞬間に、自然と元気が湧いてくるようになってきたのです。

 

「人と違うからこそ新しいものを生み出すことができる」

こう思えるようになれば、その自分が持つ価値を最大限生かすこともできます。

 

社会全体が、自分の持つ「価値」の重要さに気づけば、もっと素敵な未来を作り出すことができるかもしれませんね。

世界が断絶されたように見える瞬間

「地震 イメージ」の画像検索結果

今回は僕の中でたま〜にくる謎の感覚について、思いの丈の全てを語ります。

決して病んではいませんので悪しからず。

 

 

 

僕は人といるときに、たまに空間が分断されたような気分になります。

今いる世界と、それを眺めている世界。

まるで自分が二人(実像と虚像)いるかのような。

 

自分が自分で無くなり、酔倒していく謎の浮遊感。

「これは自分なのか」

と己に問いただしたくなる。

 

自分の存在はまちがいなく自分であるのにも関わらず、何かにすがっている自分が存在する。

「自分は、いったい何をしているのだろう?」

自己嫌悪でもなく絶望でもなく、単純に湧き上がる僕への疑問。

 

このような気持ちが渦巻いて、取り留めもなく自我を追い込んでしまう。

エヴァに乗った時の碇シンジくんはこんな感覚だったのだろうかと、不意にそんなことを感じてしまいます。

世界の断絶とは言いましたが、自分との断絶、こちらのお話をしていこうと思います。

 

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集団といるとき、世界がバーチャル(仮想空間)に見える

「他者がいるからこそ、自分という存在を自覚できる。」

それは言い返しようのないほどの事実です。

 

人は一人では生きてはいけません。

それと同時に、永遠と誰かといることもできません。

 

人は何かに「価値」を生み出すために生まれ、「使命」を果たすために行動する。

他人と関わるならばなおさらです。

 

しかし僕は、集団にいるときに自分というものを度々見失いかけます。

僕は今何をしているのだろう。

ここはどこだ。

なんのためにここにいる。

 

そういった感情が、僕の周りを渦巻いて形取っていく。

自分からその集まりに参加しているのにも関わらず、なんでこんな感覚になるのだろうと。

 

人から発せられるあらゆるエネルギーを感知して、そのエネルギーの中にどんどん吸い込まれていくような。

それを僕は「断絶されたような世界」こう表現しました。

 

決して悪い意味ではありませんし、集団を否定するものでもないです。

ただ僕は、集団にいることに対すしての計り知れない何かを、ふと感じてしまうときがあるのです。

何が正解なのかが見えにくくなる

世渡り上手。

僕が最も苦手とし、最も恐れる存在。

僕の一生をかけてでもこの言葉を克服するのは難しいのではないかと思えるほど難関項目であるなと、生きているたびに痛感します。

 

人付き合いが上手な人を目の前で見ていると、

理由もなく自分に絶望します。

 

こんな自分が社会に入った瞬間にやっていけるのだろうかと、不安になったりもします。

 

特に集団で恋愛の話をされるのは得意ではありません。

自分の中に秘めておきたいものを、無理やり誰かにこじ開けられるような。

自分のパーソナル、そして他人のパーソナルの守るべき境界線が崩壊します。

 

うんうんと頷いていくたび、自分が自分で無くなっていくような感覚になるのです。

決して他人に対して辛いとか嫌だとかという感覚は思いません。

 

ただ、言いようのない「怖さ」が僕の神経を走る。

自分自身にあったものとはみんな違うんだと、そこに世界の断絶が垣間見えてしまう原因でしょう。

 

他人と比較せず、あなたはあなたのままでいい

結局この言葉に落ち着きますが、思っている以上にその自分を作ることって難しいものですね。

自分が自分のままで良いと受け入れると思えるようになるまで、まだ時間がかかりそうです。

 

バランスを取ること。

上手にコミュニケーションすること。

そして和を保つこと。

 

今まではある程度できていたと思っていた自分が、

実は僕が今まで見ている世界が狭すぎたということに気づかされました。

その度に学ばされることが多々あります。

 

「ああ、こんな世界があるんだなあ」

こう思えるのも一つの経験ではないかと思います。

 

ただ、断絶という言葉は本来良い言葉ではありません。

自分がもっと成長して余裕が持てるようになれたらならば、自分のことを受け入れることができるとともに、断絶の世界はまた元の世界へと改変していくでしょう。

 

 

頭の中にあるモヤモヤが、ブログを書いて少し整理されました。

 

「自分は何を言っていたんだ」

日が経てばそう感じるかもしれませんが、

この時に感じたリアルを残しておく、記録に残すこともいいかなあと

 

そんな感じの一日でした。

「自分はこういう人間だ」って言わないほうがいい理由

「私ってこういう人」の画像検索結果

 

「自分は〇〇という人間だ」

「私はこういうタイプだから」

 

人はよく自分の存在を名詞化しカテゴライズしたがる傾向にあります。

しかし、大抵はこのように使う言葉の意味の多くは、自分のことを卑下していたり、自虐的な表現として使います。

自分はどんな人間なのかを他人にし知って欲しくてこのような表現を使うこともあるかと思います。

 

しかし、実際に自分=〇〇と断定している人は要注意です。

むしろ、そのような表現は極力使わない方がいいです。

 

なぜそう言えるのでしょうか。

今回は言葉が与える力の影響力を触れながら見て行きましょう。

 

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言葉には、思考を現実化する力がある

 

自分の口で発した言葉には、他人だけではなく自分自身にも大きな影響を与えます。

簡単に言えば、自分の話す言葉によって自分の未来が変化するのです。

 

「自分は明るくて面白い性格だ」

→実際に面白くて明るい人になっていく。

 

「自分はつまらなくて誇れるものが何もない」

→実際にどんどん廃人化してオワタ状態に。

 

自分が発する言葉には自分の潜在意識によって現実にさせる力が備わっているのです。

となれば、「自分は〇〇という性格だ」と断定してしまえば、

本当にそう言っていた自分になってしまいます。

 

自分の本当の気持ちで言っていても、冗談で言っていても、その言葉に影響されてしまい、最終的にはその言葉どうりの人間になってしまう。

そう考えると、迂闊に自分の未来を断定して決めつけない方が良いことがわかりますよね。

 

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自分のハードル下げのための予防線

 

自分の性格や能力を断定してしまう人は、「自分はこういう人です。」というイメージをあらかじめ他人に植え付けておくことで本人のハードルを下げる傾向があります。

 

「私は人見知りの人間です。」

→「人見知りなのにこんなに話せていてすごい」

 

「私はガサツな人間です。」

→「その割には部屋が綺麗で整頓されてるね。」

 

こう言った感じに。

 

でも実はこの行為、周囲から見ると
その「小細工で自分を良く見せよう」という魂胆が透けて見えてしまって
イラッとされたりしていることも多いんですよ。

 

相手に自分を知ってもらいたいと思っていたのに、逆に相手に不快感を与えてしまうこともあり、自分を断定して卑下することにメリットはありません。

 

人生をハッピーにするには、可能性を楽しむ

 

世界で活躍するアスリートのインタビューで、

「私は全然力がないので優勝なんて夢のまた夢です...」

こんな感じに言う人っていますか?

 

必ずみなさん、

「自分の持てる力の全てを出し切ります!」

「僕を信じてください。必ず勝ちます。」

このように自分を鼓舞するコメントをしますよね。

 

実際にこれは現実をそうさせる効果を発揮するので非常に効果的な方法です。

そして相手にもその言葉が届いて応援してくれたりします。

 

今を否定するのではなく未来の可能性を信じる。

今を否定して自分の存在を決めつけても、自分自身を苦しむだけです。

 

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終わりに

 

人は常に変化する生き物です。

人生の終着点は今ではありません。

裏を返せば、自分を断定してしまうことは、自分の最終地点を今に限定しているようなもの。そんな人生はつまらないですよね。

 

せっかくなら、自分の可能性を信じて、その言葉を自分の未来に実現させるようにイメージした方がいいとは思いませんか。

 

「自分はこう言う人間だ」

ではなく、

「自分はこう言う人間になる」

 

思考のベクトルを現在ではなく、未来にシフトしていきましょう。

 

 

 

「自習」ってそもそも何のためにある?

「自習」の画像検索結果

新型コロナウイルス拡大感染防止のために、各地で休校、自宅要請が相次いでいます。

学生は特にリモートワーク式や自習をすることが多くなりました。

 

皆さんは「自習」という言葉をよく耳にすると思います。

学校でもテストや受験前は授業の中でも自習の時間が設けられることも多いです。

しかし、自習のやり方って実際のところどうでしょうか。

正直、やり方なんてわからないですよね。

 

なぜかというと、

自習のやり方について、誰にも教わっていないから。

基本的に学校の先生は自習時間については教えてもらえるけれど、自習のやり方そのものは教えてはくれません。

今回は学校の先生では教えてくれない、「自習」ってそもそもなんのためにあるの?ということを見ていきましょう。

 

 

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「自習」の定義

 

ほとんどの学生は、学校の宿題や課題が出て、それを勉強して提出するために頑張ります。

ただそれが自分の部屋で勉強していたとしてもそれは「自習」ではなくて「課題作業」です。自習ではありません。

 

学校の授業においての自習とは、

自分が勉強した単元の中で、理解しているものとあやふやなものを分けるために行う

こう表現します。

 

仮に学校で習った単元はみんな同じであったとしても、その単元で理解できた量と質は人によって全く違います。

自分はどこまで理解できているのか、どこがつまづいているポイントなのか、ということを先ずは把握する必要があります。

 

僕は高校生の時によくめんどくさい課題とかを答え見ながらほぼ書き写しで提出してしまった教科がありました。

もはやあれに関しては完全な「作業」で、勉強ですらなかったですね。

みなさんも時間がなかった時に一度は経験があるのではないでしょうか。

 

「自習」そのものには意味はない

これは僕の持論ですが、

「自習」することそのものには意味がないと思っています。

 

というのも、自習自体に目的はありません。

テストで良い点数と取るためにすることは「テスト勉強」ですし、

受験に向けて勉強するのも「受験勉強」、

そして学校の宿題や課題をこなすのは「課題作業」です。

よくよく考えたら自習をする時間なんてほとんどの学生は持ち合わせていないのではと思います。

 

自習勉強でも然りにサボって遊んでいたとしても、学校の先生は勉強をみんなと一緒にしておらクラスの士気を下げてしまったことに対しては注意されますが、

自分が自習をしなかったことに対する注意はあまりされません。

 

自習というのは個人によってやることが全く違うし、それによって指導をする教師側も自習をしていない生徒に対して注意するのが難しいのです。

 

最悪、自習時間に自習をしなくても他人に迷惑をかけなければ特に問題はないのです。

先ほど、自習とは何かという定義づけの説明はしましたが、自習をすることの価値については不透明です。

自習ってどうしてしなくてはいけないのでしょうか。

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「自習」で自分の立ち位置とプロセスを作れる

 

先ほど、自習の定義で

自分が勉強した単元の中で、理解しているものとあやふやなものを分けるために行う

というお話をしました。

 

では自習をすることの価値とは、

自分のやりたいこと、達成すべき目標に向けてのプロセスを作り出すことができる

ということです。

 

自習というのは勉強だけに当てはまるわけではなく、生活全体でも大いに活用することができるんです。

「自習学習」を行うことによって自分が今どこまで理解しているのかの全体像を把握します。

そして、自分の目指す目標を立て、それを達成するためにはどうしたら良いかというプロセスを、「自習」から導きます。

「自習」そのものには意味はありませんが、「自習」をすることで、自分が今どのレベルにいて、どれだけの差を埋めないといけないのかを理解することができます。

 

これ実際にやってみるとわかりますが、単純に授業受けっぱなしだと妙に納得してわかったような気になってしまいます。

それを防ぐべく、自習して演習をすることで、自分がどこまで理解しているのかを理解することが初めてできるんです。

 

自習をすることによって生まれる価値がここで初めて見えてきました。

 

 

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まとめると、

自習とは、自分が勉強した単元の中で、理解しているものとあやふやなものを分けるために行うもの。

そして自習の価値とは、自分のやりたいこと、達成すべき目標に向けてのプロセスを作り出すこと。

そのためには、まず自分がどの立ち位置にいるかを知ること。

 

このプロセスをたどっていけば、自習をすることにかなりの価値を生み出します。

勉強の自習で何か方向が定まらずあやふやになっている方がいれば、「そもそも自分は何で自習しているんだ?」というところを見返してみてはどうでしょうか。

 

休みの期間がいつもよりも長いので、こんなことを考える僕でした。

 

スピード重視のテストが苦手すぎる、、、

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受験時代の頃、僕はセンター試験というものがどうしても得意になれませんでした。

特に国語、英語。

 

普通に定期テストや記述模試ならそこそこ取れていたのですが、センター試験対応の選択式試験はどうしても点数が取りにくかったです。

 

時間に追われるテストはどうしても焦ってしまう。

これがいちばんの原因でしょう。

落ち着いて解けば解ける問題も、必要以上に焦ってしまい、特にたくさん問題があった時に全部解こうと思ってしまい、結局凡ミスが多く見られるという事態になります。

 

センター試験の国語、新形式の共通テストもそうですが、本当に時間足りないですよね。

あの問題量を80分で解くのは少し無理があるのではないのかと思ったりもします。

 

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スピード系の真骨頂、TOEIC

 

TOEICのテストは、大学受験資格勉強をしてきた中でいちばん時間制約の厳しいテストだとおもいます。

センター試験の英語で10分時間を余らせていてもTOEICを真面目に解いていると時間が足りなくなります。

 

Reading=75分で100問。

単純計算したら1問あたりに書けられる時間は45秒。

本当に時間ないですよね。

 

特に焦り出すのは185問目を過ぎてから。

残り時間大体10分以内で、残りの15問(文章問題3問)を解くのは正直厳しい。

全体的に自分の読むスピードが遅いのは承知ですが、それでも間に合わない。

 

おそらく自分に足りていない力は

速読力の他にももう一つ。

 

それが、「情報収拾選択能力」

短い限られた時間内で全ての文章に目を通すのはよほど速読力に長けている人でないと厳しいと思います。

僕の場合、読むスピードは凡人程度ですので、やはり効率的な答えの根拠拾いと選択肢チェックをしなくてはいけない。

慣れるまでに時間かかるとは思いますが、やはり取得しておくと有利な資格には変わりないので、頑張って少しでも良い点数を取りたいです。

 

得点換算は当てにならない

 

よくTOEICとTOFEL、英検と点数関数の比較をされますが、正直あれは全く参考になりません。

というのも、問題形式と内容が全く違うからです。

TOEICはビジネス系のスピード型で、TOFELは学術論文形式のじっくり型です。

求めるスピードも能力も全く異なります。

英検の場合は、ビジネスに関係する内容の問題はほぼ出てきません。

 

TOEICは社会でもよく使用する単語が多いので、社会人の方からすると馴染みのあるものが多いかもしれません。

 

僕は英検準1級を取得しているものの、TOEICは600点取るだけでも精一杯。

準一級にTOEICを換算すると800点近い点数を取らなくてはいけません。

そんなバカな、、、

 

800や900を取ってる人は普通にすごいと感じます。

でも社会人になるためにはこのビジネスの力もしっかり身につけておかなくてはいけないので、避けては通れない道です。

 

「英語」の画像検索結果

日本人はSpeakingが苦手傾向

留学して特に感じたのですが、日本人は基本的にスピーキングが非常に苦手な印象を受けます。

TOEIC800点以上取得している人でも、話してみるとあまり流暢ではなったりします。

これらの経験からわかったのは、

TOEICが高得点=ペラペラ話せる訳ではない

ということです。

だから留学をすることによってスピーキングの力がつくんですよね。日本にいる間はほぼ日本語しか話さないのでどうしても力がつきにくいセクションではあります。

 

僕の場合、留学のおかげでかなりスピーキングについては鍛えられたので、あとはペーパーテストの点数をあげればかなりの武器になるとは思います。

 

個人差はあると思いますが、留学で一年近く住んでいると英検一級の2次面接はほぼ満点で受かるくらいの実力がつきます。

やはり留学の効果はすごいなと僕自身実感しています。

 

TOEIC、なかなか克服するのに苦労する存在です。

僕もツイッターでよく見かける

TOEIC860点、外資系勤務」

のように書いてある人のようになりたいです。

 

アメリカの授業が全てオンラインへ、どう過ごす?

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新型コロナウイルスの影響で、世界各地とんでもない影響を受けています。

大型イベントはもちろん中止、学校や就活セミナーも軒並み閉鎖が続いており、その目処も立っていません。

卒業式や入学式も中止になってしまう学校も多く、残念な気持ちでいっぱいです。

 

そして僕の住むアメリカでも影響が及んでいます。

カルフォルニアが出した緊急事態宣言の影響により、ほぼ全ての学校のオンライン授業が決定。

自宅でオンラインをつないで

授業、テストを受けるということになりました。

正直今だにこれからどのように生活をしようかという予定が見えませんが、そんな中で思っていることを素直に書いてみます。

 

 

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世界各地で食料、トイレットペーパーの買い占め相次ぐ

 

おそらく日本でもマスク、トイレットペーパー、日常品が不足しているかと思いますが、アメリカでも同じ事態が起きています。

人間の性質といいますか、非常事態における商品の買い占めは世界どこでも変わらないんですね。

普段物に溢れているマーケットも最近は品薄状態が続いています。

実際にこんな感じです。

 

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特に、ロサンゼルスの都心部では飲食店は軒並み閉鎖されています。

あれほど賑わっていたメイン通りも人が換算しているのをニュースを見て、本当に事態は深刻だなと感じます。

トランプ大統領は全国民に1000ドル(約11万円)計100兆円の支給をするなど、桁違いの金額の緊急対応をしているほどです。

 

僕もよく街に繰り出したりしますが、人が明らかに少ない感じがします。

当然と言えば当然ですが、いつコロナが収束するのかの目処が立たないのでみなさんストレスが溜まっていますね。

今の時期は特にヨーロッパがすごく、感染が広がっています。

 

 

授業がオンラインに

 

僕は留学の残りがあと3ヶ月になりましたが、その3ヶ月の春のシーズンはオンラインに切り替わりました。

学校としても異例の対応ということで、先生方も忙しそうです。

 

しかも状況も状況ですから、特に仲の良かった中国人の友達は次々と母国に帰省してしまい、現時点でアメリカに残っている人はほとんどいません。

日本人の留学生も日本に帰国する人が後を耐えず、どんどん知り合いが帰国しています。

 

オンライン授業・テスト&沢山の友人が帰国。

さてどうしましょうか。

 

オンラインのテストを数日受けてわかったのですが、やはり学校に行ってしっかりと授業を受けるわけではないので、どうしてもだらけてしまいますし、長時間パソコンと睨め合いっこしていると本当に目が疲れます。

 

やはり授業は生が一番ですね。

先生の授業をリアルで受けられる上に友人とコミュニケーションを円滑に取れる。

オンライン授業も悪くはないですが、やはりどうしても生授業には劣ってしまう。

 

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日本に帰ったところで説

 

とは言え、自分が今すぐ日本に帰国したところで行動は大きく制限されてしまうことには変わりません。

今年からインターン、就活を始めようと思いますが、流石に3月から始める選考会はありませんし(一番早くて6月)

そもそもコロナウイルスの影響でセミナーや合同説明会は軒並み中止しているので行く機会もない。

日本に帰ってすることも特にないのであれば、オンライン授業ではありますがアメリカの留学を続ける方が賢明だという結論にいたりました。

 

アメリカにいれば英語の練習もできます。

こっちでできるものもまだあると思うので、残りの3ヶ月はひたすら自分と向き合いながら、できることを1つずつこなしていきます。

 

正直言って時間は山ほどあります。

大学生活史上一番時間があります。

この時間を最大限有効活用していきたいです。

日本に帰ってからの行動する内容をまとめて、今月あたりは将来の自分の準備をする時間にしようと思います。

 

皆さんもお体にお気をつけて、できることから始めていきましょう。

自分の今後の人生スケジュールを作ってみた

「人生」の画像検索結果

 

僕は今大学3年生で、一年間の休学を取り、アメリカに留学をしています。

アメリカの留学は今年の6月半ばまでで、その後日本へ帰国し、後期から学校へ復学、そして卒業と就活を目指します。

思えば大学生活もあっという間で、正直めちゃくちゃいろんなことをしてきたなと思いつつも、これから就活が控えているということで生活スタイルも少しずつ学生から社会人に切り替えて行く必要があります。

時間のある今に、計画を作って安心して内定とって卒業したい。学生ならば誰しもそう思うはずです。

 

そのために、今回はもう一度今後のスケジュールを長期的にまとめることにしました。

 

僕の大学スケジュール

 

僕の大学は本来は4年生で卒業ですが、一年間の休学を経て留学をしているので、

大学には実質五年間在籍することになります。

 

大まかなスケジュールは以下の通り。

留学は3年生の後期から一年間なので、復学するときは翌年の後期からになります。少し複雑ですね。 

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思い返せば1年生からここまでいろんなことをしながら過ごしてきたなあと感じています。もちろん楽なことや楽しいことばかりではありませんでしたが、自分の中では濃い生活が送れていたように感じます。

 

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 ↑

これは僕が初めてインカレサークルに参加した時のエピソードです。

東京近辺の他大学と交流する機会がなかったので非常に新鮮でしたし、何より生徒のレベルが非常に高く皆上品だったのが印象的でした。

最初のサークルはなかなかブラックで大変でしたが、それを経験したからこそ今の生活がより幸せに感じることができます。

 

 

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 ↑

こちらが留学バージョン。

最初は馴染めないことも多くて新生活のスタイルに順応するだけでも必死でした。

今でこそ馴染んでいますが当時はなかなか苦労していたことを思い返します。

本場アメリカの生活を肌で体験するのは掛け替えのない体験です。

レベルの高い授業や仲間達との生活もきっと将来の役に立つと思います。

 

空白の3ヶ月

 

さて、留学も残すところあと3ヶ月。

時が過ぎるのも早いもので、もう後半に折り返していたのかと感じました。

残りのプログラムを終了したら、日本へ帰国して、残りの大学生活を送るべく復学の手続きをします。

 

ここで僕はふと気付きました。

帰国するのが6月の中旬で新学期が9月の下旬。

つまり復学までの空白期間が3ヶ月もある

そう思うとめっちゃ長いな、、、!!!

 

もちろんこの期間をインターンやバイトなどに時間を使えそうなので、その時間に当てるとしましょう。けれど3ヶ月の期間は自分が思っているよりも長いです。

大学生の長い春休みですら最大2ヶ月弱です。

これは相当な長さだと思います。

 

 

なので、僕はこの期間を無駄にしないように今後のスケジュールを長期的に考えて見ました。

 それがこちらになります。

 

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大学の単位も多少落としはしましたが、卒業だけを目的にするならば許容範囲です。

学校に行く回数は3年生後期で週に3回、4年生に入ると週に1・2回程度でいいので、比較的普通の学生のスケジュールになるでしょう。卒業は休学の影響で一年伸びますが。

 

自分で作って見て思ったのが、

「大学のことほとんど頭にないw」

ということです。

ほとんどがインターンと就活のスケジュールになっています。

 

正直いうと就職活動に関してはなるべく自分の希望に沿った形で、かつ早めに終えたい気持ちもあるので、このような前倒しスケジュールになりました。

 

というのも、自分の性格上一度怠け出したらもう止まらなくなるので、自分で先にやるべきスケジュールを決めておくべきだと危機感を覚えたからです。

4年生終わり頃になって焦り出しても僕の場合はどうにもできないので、長期的にも全貌が見えているだけでもすごく楽です。

 

まとめ

 

大学生活は後半ほど加速的に早くすぎてしまうものです。

もう気づいたらこんな時期になっているというのもざらにあります。

特に僕のようにだらけやすく人に影響されやすい性格ならばなおさらです。

 

あくまで全体像が見えただけで具体的な行動がまだ見えていないので、今できる範囲から少しずつ準備を進めていきたいと思います。

まずは残りの留学生活を頑張ります。

日本に帰ったら就活を念頭に置いた生活を送りたいです。