empathizeの日記

人の気持ちを理解したい、もっと人と繋がりたい。最高最強の人になる為のブログ

世界が断絶されたように見える瞬間

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今回は僕の中でたま〜にくる謎の感覚について、思いの丈の全てを語ります。

決して病んではいませんので悪しからず。

 

 

 

僕は人といるときに、たまに空間が分断されたような気分になります。

今いる世界と、それを眺めている世界。

まるで自分が二人(実像と虚像)いるかのような。

 

自分が自分で無くなり、酔倒していく謎の浮遊感。

「これは自分なのか」

と己に問いただしたくなる。

 

自分の存在はまちがいなく自分であるのにも関わらず、何かにすがっている自分が存在する。

「自分は、いったい何をしているのだろう?」

自己嫌悪でもなく絶望でもなく、単純に湧き上がる僕への疑問。

 

このような気持ちが渦巻いて、取り留めもなく自我を追い込んでしまう。

エヴァに乗った時の碇シンジくんはこんな感覚だったのだろうかと、不意にそんなことを感じてしまいます。

世界の断絶とは言いましたが、自分との断絶、こちらのお話をしていこうと思います。

 

empathize.hatenablog.jp

 

集団といるとき、世界がバーチャル(仮想空間)に見える

「他者がいるからこそ、自分という存在を自覚できる。」

それは言い返しようのないほどの事実です。

 

人は一人では生きてはいけません。

それと同時に、永遠と誰かといることもできません。

 

人は何かに「価値」を生み出すために生まれ、「使命」を果たすために行動する。

他人と関わるならばなおさらです。

 

しかし僕は、集団にいるときに自分というものを度々見失いかけます。

僕は今何をしているのだろう。

ここはどこだ。

なんのためにここにいる。

 

そういった感情が、僕の周りを渦巻いて形取っていく。

自分からその集まりに参加しているのにも関わらず、なんでこんな感覚になるのだろうと。

 

人から発せられるあらゆるエネルギーを感知して、そのエネルギーの中にどんどん吸い込まれていくような。

それを僕は「断絶されたような世界」こう表現しました。

 

決して悪い意味ではありませんし、集団を否定するものでもないです。

ただ僕は、集団にいることに対すしての計り知れない何かを、ふと感じてしまうときがあるのです。

何が正解なのかが見えにくくなる

世渡り上手。

僕が最も苦手とし、最も恐れる存在。

僕の一生をかけてでもこの言葉を克服するのは難しいのではないかと思えるほど難関項目であるなと、生きているたびに痛感します。

 

人付き合いが上手な人を目の前で見ていると、

理由もなく自分に絶望します。

 

こんな自分が社会に入った瞬間にやっていけるのだろうかと、不安になったりもします。

 

特に集団で恋愛の話をされるのは得意ではありません。

自分の中に秘めておきたいものを、無理やり誰かにこじ開けられるような。

自分のパーソナル、そして他人のパーソナルの守るべき境界線が崩壊します。

 

うんうんと頷いていくたび、自分が自分で無くなっていくような感覚になるのです。

決して他人に対して辛いとか嫌だとかという感覚は思いません。

 

ただ、言いようのない「怖さ」が僕の神経を走る。

自分自身にあったものとはみんな違うんだと、そこに世界の断絶が垣間見えてしまう原因でしょう。

 

他人と比較せず、あなたはあなたのままでいい

結局この言葉に落ち着きますが、思っている以上にその自分を作ることって難しいものですね。

自分が自分のままで良いと受け入れると思えるようになるまで、まだ時間がかかりそうです。

 

バランスを取ること。

上手にコミュニケーションすること。

そして和を保つこと。

 

今まではある程度できていたと思っていた自分が、

実は僕が今まで見ている世界が狭すぎたということに気づかされました。

その度に学ばされることが多々あります。

 

「ああ、こんな世界があるんだなあ」

こう思えるのも一つの経験ではないかと思います。

 

ただ、断絶という言葉は本来良い言葉ではありません。

自分がもっと成長して余裕が持てるようになれたらならば、自分のことを受け入れることができるとともに、断絶の世界はまた元の世界へと改変していくでしょう。

 

 

頭の中にあるモヤモヤが、ブログを書いて少し整理されました。

 

「自分は何を言っていたんだ」

日が経てばそう感じるかもしれませんが、

この時に感じたリアルを残しておく、記録に残すこともいいかなあと

 

そんな感じの一日でした。