「自習」ってそもそも何のためにある?
新型コロナウイルス拡大感染防止のために、各地で休校、自宅要請が相次いでいます。
学生は特にリモートワーク式や自習をすることが多くなりました。
皆さんは「自習」という言葉をよく耳にすると思います。
学校でもテストや受験前は授業の中でも自習の時間が設けられることも多いです。
しかし、自習のやり方って実際のところどうでしょうか。
正直、やり方なんてわからないですよね。
なぜかというと、
自習のやり方について、誰にも教わっていないから。
基本的に学校の先生は自習時間については教えてもらえるけれど、自習のやり方そのものは教えてはくれません。
今回は学校の先生では教えてくれない、「自習」ってそもそもなんのためにあるの?ということを見ていきましょう。
「自習」の定義
ほとんどの学生は、学校の宿題や課題が出て、それを勉強して提出するために頑張ります。
ただそれが自分の部屋で勉強していたとしてもそれは「自習」ではなくて「課題作業」です。自習ではありません。
学校の授業においての自習とは、
自分が勉強した単元の中で、理解しているものとあやふやなものを分けるために行う
こう表現します。
仮に学校で習った単元はみんな同じであったとしても、その単元で理解できた量と質は人によって全く違います。
自分はどこまで理解できているのか、どこがつまづいているポイントなのか、ということを先ずは把握する必要があります。
僕は高校生の時によくめんどくさい課題とかを答え見ながらほぼ書き写しで提出してしまった教科がありました。
もはやあれに関しては完全な「作業」で、勉強ですらなかったですね。
みなさんも時間がなかった時に一度は経験があるのではないでしょうか。
「自習」そのものには意味はない
これは僕の持論ですが、
「自習」することそのものには意味がないと思っています。
というのも、自習自体に目的はありません。
テストで良い点数と取るためにすることは「テスト勉強」ですし、
受験に向けて勉強するのも「受験勉強」、
そして学校の宿題や課題をこなすのは「課題作業」です。
よくよく考えたら自習をする時間なんてほとんどの学生は持ち合わせていないのではと思います。
自習勉強でも然りにサボって遊んでいたとしても、学校の先生は勉強をみんなと一緒にしておらクラスの士気を下げてしまったことに対しては注意されますが、
自分が自習をしなかったことに対する注意はあまりされません。
自習というのは個人によってやることが全く違うし、それによって指導をする教師側も自習をしていない生徒に対して注意するのが難しいのです。
最悪、自習時間に自習をしなくても他人に迷惑をかけなければ特に問題はないのです。
先ほど、自習とは何かという定義づけの説明はしましたが、自習をすることの価値については不透明です。
自習ってどうしてしなくてはいけないのでしょうか。
「自習」で自分の立ち位置とプロセスを作れる
先ほど、自習の定義で
自分が勉強した単元の中で、理解しているものとあやふやなものを分けるために行う
というお話をしました。
では自習をすることの価値とは、
自分のやりたいこと、達成すべき目標に向けてのプロセスを作り出すことができる
ということです。
自習というのは勉強だけに当てはまるわけではなく、生活全体でも大いに活用することができるんです。
「自習学習」を行うことによって自分が今どこまで理解しているのかの全体像を把握します。
そして、自分の目指す目標を立て、それを達成するためにはどうしたら良いかというプロセスを、「自習」から導きます。
「自習」そのものには意味はありませんが、「自習」をすることで、自分が今どのレベルにいて、どれだけの差を埋めないといけないのかを理解することができます。
これ実際にやってみるとわかりますが、単純に授業受けっぱなしだと妙に納得してわかったような気になってしまいます。
それを防ぐべく、自習して演習をすることで、自分がどこまで理解しているのかを理解することが初めてできるんです。
自習をすることによって生まれる価値がここで初めて見えてきました。
まとめると、
自習とは、自分が勉強した単元の中で、理解しているものとあやふやなものを分けるために行うもの。
そして自習の価値とは、自分のやりたいこと、達成すべき目標に向けてのプロセスを作り出すこと。
そのためには、まず自分がどの立ち位置にいるかを知ること。
このプロセスをたどっていけば、自習をすることにかなりの価値を生み出します。
勉強の自習で何か方向が定まらずあやふやになっている方がいれば、「そもそも自分は何で自習しているんだ?」というところを見返してみてはどうでしょうか。
休みの期間がいつもよりも長いので、こんなことを考える僕でした。