empathizeの日記

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成功する!ではなくて成功しましたを大切に。受験から学ぶ感謝の気持ち

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今回は僕の母親が話してくれたお話です。

 

事は遡り、僕が高校三年生の受験シーズン、一点でも合格点に近づく為に四苦八苦していた時期です。

 

大学受験を経験した方はわかると思いますが、受験の重圧とストレスはそうとうなものです。この時期の自分の精神状態は本当に疲弊していました。

大学に受かりたいという衝動、受からなければという責任、いつまでやっても勉強が終わらない焦り。

いろいろな感情が入り混じりながらこの壁を乗り越えなくてはなりません。

受験というのはなんとも残酷で、合格点に一点でも届かなければ受かる事はできません。そして一点でも合格点に満たせていれば、大学に入ることができます。その境目の凌ぎは熾烈な戦いを強いられます。

 

よく先生が「勉強はやればやるほど伸びるからとにかく勉強しろ」という話を聞きますが、私はあまりそうは思えません。

 

もし時間を重ねるだけ、回数をこなすだけで成績が比例的に伸びるのならば、日本中これほどまでの塾や予備校は存在しない筈です。

 

勉強をする以前に、人間は「感情」という1つの壁が存在します。その感情は、非常に扱うことが難しいのです。

調子がいい時や成績が伸びているときは楽しくて精神も安定していますが、とりわけ受験期でやってもなかなか伸びない時期に差し掛かると、時間に見合わない結果が自身を困惑させ、本来自分が持っている力を発揮することすらできないことなどはよくあることです。

残念なことにそれが本番でそうなってしまったという事例もあります。

 

人は基本的に、やらなくてはならないという強い重圧の中で結果を残すことは、想像以上に難しい話だと思います。

 

志望大学に受かりたいと思っても、結果はいつもE判定。やればやるほどその壁を感じず入られない。そして現役で受からないとこの物事を続ける体力がない僕にはもう未来はない。

当時の精神を省みても、やはりこれ以上無いくらいのキツさを感じていたと思います。

 

 

拍車をかけるように、受験期は空気が張り詰めます。少しでも勉強しなくてはという思いから、バスや電車の中で常にシス単などの英単語帳を時間があれば読んでいました。

けれどそれは身の入った勉強ではなく、ただの気休め。勉強していることで安心感を覚える薬に過ぎないものでした。

 

身の入らない勉強で、時間や労力に見合わない結果を見るたびに痛感させられます。

成果が出せないその背景には、「成功したい」という強い圧力みたいなものを常に背中で感じていた。

しかし、そう思うほど結果はついてきません。成功したいという気持ちの持ち方を間違えるとただ自分を締め上げる凶器になってしまうのです。

別にやる気がないとか、受かる気がない訳ではありません。むしろそれだけ受かりたいという気持ちが強いほど、今どうしていいのか分からなくなってしまうという状態です。

 

 

 

そんな状況の僕を、母はこう言ってくれました。

 

「成功しようと思うんじゃなくて、成功しましたと感謝する気持ちを持ちなさい」

 

これは僕にとって完全に盲点だった指摘です。成功することばかりに執着して、成功した後の自分の姿を見落としていたんです。

 

それを示してくれるかのように、母は受験当日間近の数日(田舎から都心部の受験だったので、ホテルを借りて受験期を過ごしました)は殆ど勉強を促すことは言いませんでした。

 

受験数日前から受験日の僕の生活はこんな感じでした。

朝はホテルのバイキングで朝食を済ませ、お昼まで街をぶらつき、昼過ぎにカラオケとボーリングを楽しみ、夜は美味しいレストランで団欒。参考書等を一切開かずにひたすら娯楽を楽しみ受験日前日を過ごす。

 

受験生とは思えないような生活を過ごしていたのです。受験なめてんのかと思う方もいるかもしれません。

 

しかしおそらくその背景には、僕に無駄なプレッシャーを与えて欲しくないという想いがあったからこそ、勉強とは真逆のアプローチで僕を支えてくれたのだとおもいます。

 

 

成功をするプロセスは、成功するまでひたすら努力を積み重ねるだけでなく、

いかに自分の成功した後の状態の精神を保つことができるか。

ゴールにまで向かう道は一つではなく、それだけ自分の心と体を第一に考えなければならないことに気づかされました。

今までに感じなかった全く新しい側面を学ぶことができたんです。

 

そして感謝するという側面は、例えば受験で言うならば、「戦ってる人は自分だけじゃ無い」という事です。

よく受験時代に「受験は団体戦」と言いますが、僕の思う団体戦は少し違っていて、その団体の対象は共に立ち向かう受験生やクラスメイトではありません。

 

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自分をここまで支えてくれた家族や友達や先生、その環境のことを団体と言い、そういう方達に向けた感謝を忘れてはいけません。

 

今回は受験の話でしたが、受験に留まらず、すべてにおいて何か挑戦する時に忘れてはならないことだと僕は思います。

結局受験は難関の第一志望には受かりませんでしたが、自分が行きたいと思える大学に合格することができました。しかしそれも母の言葉がなかったら、あの時の精神を考えたらどこにも受からなかったのだろうと感じます。

 

成功すると強く願うのではなく、成功した自分を描いた上でそのことに感謝する。それは結果を残すことや相手を見返す以上の価値のあるものだと、身をもって体験出来たことです。

 

あの時の母の言葉には感謝しなくてはいけませんね。