人生とは富士山の様なもの
新年明けましておめでとうございます。
ブログを開設して約1ヶ月、心新たにしてこのブログも続けていこうと思います。
2020年がどんな一年になっていくのか、自分でも凄く楽しみです。
さてタイトルにもあるように、「人生とは富士山のようなものだ」ということについて話そうと思います。せっかくの元旦で、大きな事を語るにふさわしい1日だと思ったので。
富士山といえば、日本の一つの象徴でもあり、この美しい山は日本だけでなく世界でも高い評価を受けています。
僕はいまアメリカに留学しているのですが、その授業の中で富士山の出来た軌跡やその尊さについて学ぶ事があったほどです。
それほど観光客からにも人気がありその美しさは他の山と比べても群を抜くものがあります。
そんな中で僕はその富士山を「人生」と捉えました。
富士山にも二つの側面があります。
遠くから見てみると美しい景色として見えますが、いざ富士山を登ろうと思うと目の前は苦しい景色しか見えません。
実際に富士山を登ろうと思うと、あの極寒の中で足元は危なく、噴火してしまう危険性もゼロではありません。
外から見える景色と内側から見える本質は対極に位置する事がよくあると思います。
「隣の芝生は青い」という言葉も、これに関係しています。
例えば幸せそうに見えるカップルや夫婦も、側から見たら羨ましい限りの光景です。しかし当事者からすれば大きな衝突を経験したり、必ずしも幸せな事ばかりでは無いはずです。
必ずしも友達が多ければ幸せというわけでもないし、かと言ってずっと外側の人間で居続けたら人生の張りが全くない。
なんとも人生って難しいですよね。
しかし富士山の頂上まで登った瞬間に、麓から見ていたあの景色とは格別の絶景を見ることができるんです。
これは本当の意味で登りきった人にしか得ることのできない感覚。登っていて9割くらい大変だったことしかないけれど、その分の感動は今までの比ではないと思います。
だからいつでも、ただ外からのぞいているだけは言ってしまえば凄く楽な事なんです。
時間は平等に与えられています。そして自分が生きる世界は自分で選ぶ事が出来る日本に私たちは生まれました。
行動するからこそ、新しい壁にぶつかり、その度精神的にも肉体的にも大変なストレスがかかるわけです。
けれどそう言った経験も、実際に自分が行動しなければ決して見ることのなかった景色なんだと、僕はこの短い21年間の人生で一つ学べました。
当然、物事うまくいかないことの方が多いし、社会人になれば学生の頃とは桁違いの壁を経験するはずです。こうやって余裕こいていられるのも今のうちなのかもしれません。
しかし僕は外側からも内側からも、富士山という名の人生を体感したいのです。
本当に口で言うことは簡単で、その言葉に対し何一つ達成できていない自分が存在していることも事実です。実際にそう言い聞かせて自分を無理やり正当化させ、ただカッコつけているだけなのかもしれません。
ただ何も動かず、全て外から覗くだけの人生を送りたくはありません。
いろいろな環境でいろいろな経験をしますが、その経験は行動から来るもので、行動が自分を大きく成長してくれます。
だから2020年の一つの抱負として、
行動する年
今まで以上に意識して、今年1年僕らしく頑張っていこうと思います。
ただ、あまりそれに固執してしまうと、本来自分は縛り付けることで萎縮してしまい本来の力が出せなくなってしまう性格です。
あくまでも僕のペースで、楽しみながら今年も富士山を登っていきます。
来年には自分は何号目まで登っているかな?