「人間万事塞翁が馬」と「幸・不幸」
人生における幸不幸は予測しがたいということ。 幸せが不幸に、不幸が幸せにいつ転じるかわからないのだから、安易に喜んだり悲しんだりするべきではないというたとえ。
これ最初、「にんげん」と読むと思いきや、「じんかん」と読むんですね。
初めて知りました。それともどちらの読み方でもいいのかな。
「人生山あり谷あり」という似た言葉もあるように、
人生は全てがいいことばかりではありません。
今までの人生を通じて、辛いことを全く経験せずにここまできました。と言える人はおそらくほぼいないでしょう。
みんな必ず人生においての「幸・不幸」を繰り返して生きています。
人は誰しも、「不幸」を嫌います。
そりゃあ、誰だって幸せでいたいすもんね。僕だってそうです。
ただ、その「幸せ」ってどうやって誰が決めるのでしょうか。
美味しいものを食べた時や、好きな人とデートしたりとか、いろいろな「幸せ」は確かに存在していますが、
それは絶対的なものではなくあくまで相対的なものです。
「あの時経験した辛さを乗り切ったからこそ、今が幸せに感じられる」
そう感じたことはみなさんあるかと思います。
例えば部活の厳しい練習で死ぬほどきつい経験ばっかりしていると、
「今日の練習は校庭5周だけだ。」
と言われただけで幸せを感じてしまいます。
他人からしてみたらそれさえもきついことでも、本人の過去のきつさに比べたらなんてことないと感じるわけです。
このように、
今の幸せのバロメータは、過去の自分の幸せ値と比較して出た数値なのです。
ずっと過去が幸せのまま来ていたら、本当は幸せなことでも、だんだんと幸せである感覚が薄れていきその感覚に慣れてしまいます。
人間の慣れとは恐ろしいですよね。
人間万事塞翁が馬のように、いいことと悪いことが周期的に起きることは、
実はバランスが取れていて良いと考えます。
幸せがあるから不幸があり、不幸を経験したから今が幸せに感じることができる、と言ったことを実感できます。
何が一番辛いことかと言われれば、
幸せを幸せと感じないことです。
人は将来の幸せのために、どんどん「幸せ」ということを追求して生きます。そしていつの間にか今の自分が幸せであることを感じなくなってしまう。
これはちょっとした危機です。
幸せが普通と感じてしまえば、より大きな幸せを手に入れないと不幸と感じてしまうからです。
「人間万事塞翁が馬」は幸・不幸は不定期的にくるため、いつでも慢心してはいけないという意味で使われます。
ですがその前に、
今の自分が幸せであるかもう一度振り返る
ことをしておく必要があります。
そうしなければ幸せの欲求不満が起きてしまい、いつまでたっても満たされない人生を歩んでしまう可能性があります。
今を幸せと感じていたら、自然と感謝の気持ちが出て来ます。