”本気で向き合ってくれる人”なんてそうそういない
人間が大体80年生きると仮定して、それまでに出会う人数は平均して3000人程度と言われています。
その出会う人たちの中で、自分にとってかけがえのない存在になる人もいるでしょう。
けれど中には表ではいい人ぶっていざという時に何もしてくれない人も存在します。最近はそういう人をなんとなく見分けることができるようになってきました。
僕たちは基本的に、「言葉」によるコミュニケーションでお互いの信頼関係を築いていきます。信頼や約束も、言葉を交わすことで少しづつ強固なものになります。
「この日にまた必ず会おう」
「約束だったもの、持ってきたよ」
「急に入院すると聞いたから見舞いにきたぜ」
このような深い会話はお互いの絆を深めます。
そしてその言葉の意味以上にお互いの関係性はより強固で、絶対的な信頼に変わっていきます。
けれど中には、言葉だけを重視して全く行動が伴わない場合があります。
そうなれば、本当の信頼はおろか「この人は口だけなの?」という不信感にも繋がります。
「最近先輩が仕事できないって聞いたけど、僕はそうは思わないなあ。僕は君の活躍期待してるよー」
「最近あまり調子よくなかったみたいだけど大丈夫?なんなら私話聞くよー?」
よく聞く言葉ですが、これは僕の経験から言えますが、
行動する前にこのような言葉が出てくる人は本当に親身になって聞いていません。
「僕はそうは思わない」「いざとなったら話を聞く」どちらも聞こえはいいですが、実際にそうしてくれる前にこの言葉を言った人たちはただのコミュニケーション風です。
僕が所属していたあのブラックサークルも同様でした。
自分の役職を決める役職会議の時に、「困ったことがあれば絶対に助け合うから」と口先だけでは素晴らしいことを言ってくれました。
しかしいざ問題が発生して迅速に対応するためお互い助け合わないといけない時に限って、「それは私には関係ない、自分で解決しろ」と事を丸投げ。
あの時の言葉は一体どこに置いてきたんだと思うほど全無視された、、、
このようなエピソードは僕や友人、近くで見てきたのです。
中には自分の興味を引かせようと思ってあえてそう言った優しい言葉を投げかけて、しまいには何も行動せずむしろ責任を自分に転嫁してくる。そう言った信じがたいケースも見てきました。
本当に信用して自分と向き合ってくれる人はほんのわずかです。
むしろ、一人でもいてくれたらその人はあなたにとって、かけがえのない存在です。
そういう人は、
言葉の前に彼らは行動で示してくれます。
本当の友情や愛は言葉で投げかけるだけの薄いフォローとかではなく、
自分がある程度犠牲になってもその人のために動いてくれる人です。
心から信頼している人には、
”仲のいいフリ”や”友達の皮”をかぶる必要はそもそもないのです。
自分のことを大事にしてくれているからこそ、常に自分のことを考えて、それを行動に移してくれます。
自分に尽くしてくれた上で、その熱い言葉を交わして本当の絆が生まれる。僕の生きてきた人生の中での本当の友達というのは、こういう人を指すのだと思います。
言い方は悪いですが、
そうやって集団の中で自分を守るためにそういった良いことを投げかけ、いざとなった時に逃げる人たちが心底嫌いです。
私たちはあなたのことを信じているから。
いつでも君の話を聞くからね。
しゃらくせえ。
そんな言葉を信じていざ本当に裏切られた人たちがかわいそうだ。
その言葉の通り自分に向き合ってくれた人たちだけを本当に大切にする必要があります。他の表面だけの人はそこまで深く関わらなくてもOKです。
逆に、「この人とはずっと一緒にいたい」と思った人に関しては、
言葉で伝えるよりもまず行動で示しましょう。
実際に行ってくれた言葉よりも、それを尽くしてくれたことをエピソードとして記憶する方が印象が大きいし、そっちの方が本気度が違います。
そうして繋がる絆は、そうそう簡単に壊れることもないし、本当の意味で自分のことに向き合ってくれる存在になります。
事実、そこまでしてくれる本気で向きあることは非常に難しいです。
だからこそ、そう言った人に出会えた時は、絶対に自分もその人のことに向き合い、本当の絆を結べれば良いですね。