empathizeの日記

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「良い人」という縄張りをほどく勇気を持つために

「いい人」の画像検索結果

 

「みんなにとってのいい人でいなきゃ」

周りの目を気にしすぎて振り回されてしまう。

こういった悩みを持つ人はめちゃくちゃ多いです。

 

実際僕も、「良い人でありたい」とまでいかなくとも、人の目を伺いながらといった遠慮をして自分が辛くなるといった経験は数多くしてきました。

 

「良い人」でありたいと強く思う人の大部分は、

自己肯定感が非常に低い人です。

 

人に嫌われることを恐れて、気づいたら誰に対しても「いい人」であり続ける、

いわゆる八方美人になってしまう。

こういったケースは集団に属している私たちの社会で起こりやすい事実です。

 

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「良い人」でいようとすればするほど嫌われる理論

 

一見誰に対しても分け隔てなく良い対応をすることは、

行いとして良いことだと思いがちになってしまいます。

 

しかし、他人から親切にされたとしても、

その人自身が八方美人で対応された時の人が抱く感情は、違和感を覚えます。

 

そして、ほとんどの人はそれを「見抜きます」

もちろん100%完全に偽善でやっているんだと思うことは無かったにせよ、論理や理屈関係なく、他人に行う行為に基づく人間の魂胆を、本能的に感じることができるのです。

 

そしていつしか、

「実はこの人とあんまり合わないのでは?」

 

といった、最初に抱えた違和感が明確化されて、いつしか自分の周りには表面的な関係で止まってしまい、深い関係を築こうとも周りが離れていってしまうことになってしまいます。

 

みんなに良い人でいようと思っていたことが、いつしか「孤独」を引き起こしてしまうケースって、実は良くあることなんです。

 

これは個人的な感覚ですが、

本当の意味で、八方美人の人が皆から好かれているイメージはほぼありません。

 

よく「良い人」=素晴らしいことと考える人もいますが、

僕はそうは思いません。

 

単なる「良い人」とは

自分の意見を伝えられず、

常に相手の顔色を伺っている臆病者

といった側面も持ち合わせているからだと思います。

 

もちろん「良い人」であるからこそ得られるメリットもありますが、本人の幸せを比較したら、それによって失う代償の方が多いように感じてしまうのです。

 

「好かれる 」の画像検索結果

 

どんなに好かれようと思っても、必ずアンチは出てくる

 

皆さんは、「2:6:2の法則」をご存知でしょうか。

よく経営マーケティングの人材能力指標で使われる法則ですが、

実はこれは人間的な性質そのものにも大きく当てはまります。

 

「2 6 2の法則」の画像検索結果

https://www.com-support-co.jp/blog/8978

 

一般的に人間の性質では、

人から好かれる人の割合、嫌われる人の割合、無関心の人の割合の3つのバランスが、2:6:2に大きく分類されるのです。

つまり、たとえ人がどんなに素晴らしい行いをしたとしても、

約2割の人はそれを「嫌い」と思っている人が存在しています。

 

つまり、

万人から好かれることは不可能で、全員にとっての「良い人」になることは限界がある

であることがわかると思います。

 

あれだけYouTubeで人気のあるヒカキンですら、一定数のアンチが2chで叩きまくっている人も存在します。

(ネット上の彼らのような過激派は「ノイジーマイノリティ」と言います)

 

誰か特定の人に好かれたいと思う気持ちは普通の感情です。

しかしみんなから好かれようとすると、

自分の個性を失い、他人にとっての「都合のいい人」に過ぎなくなってしまいます。

 

そんな生き方をしていては、いつまでたっても自分の幸せは見えてこないですよね。

 

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どうしたら「嫌われないか」よりも、どうしたら「喜んでもらえるか」

 

とはいっても人間誰しも嫌われたくないもの。

僕も人に嫌われて心地よいと感じたことはただの一度もありません。

 

自分をある程度犠牲にしてでも、嫌われることを避ける人も多いでしょう。

しかし、前述の通り一定数の否定派は存在するのです。

 

昔と今では形態は大きく異なります。

昔、特にインターネットがない時代は、会社は終身雇用、属するコミュニティが少なく、その空間内でうまくやっていかないといけない時代でした。

 

しかし今ではSNSの普及に伴って、「自分の居場所、主張できる空間」が圧倒的に増えてきており、転職するのも当たり前の時代にシフトしています。

 

令和に入った現在では、コミュニティの選択の自由度が増しました。

 

そうなった時に、自分がするべきことは、

自分に合った環境で、他者に貢献すること

こちらの方が大切になってきています。

 

自己犠牲による偽善を続けていくと、本当の自分との矛盾に違和感を覚え、やりがいや幸せをつかめなくなってしまいます。

「良い人」を演じる・演じてしまう前に、

自分がどうやったら人の助けになるんだろう。

このような考え方をすると次第に人から感謝され、本当の自分でも良いという安心感をつかむことができるんです。

 

「自由」とは、他者に嫌われること

 

アドラー心理学の「嫌われる勇気」の著書にこのような言葉があります。

「自由に生きるとは、他者に嫌われることである」

 

「嫌われる」ことに向き合うことで、

自分は本当の意味での「自由」を手にすることができます。

 

はっきり言って、簡単じゃないです。

簡単にできたら、世界中ハッピーです。

 

しかし、アドラーのいう通り「嫌われる恐怖」から逃れていては、本当の自由や幸せはやってこない。

 

自分のできる領域でも良いと思います。

偽善による「良い人」から、「貢献できる人」にシフトしていきましょう。

 

是非ともこちらの本を参考にしてみてください。

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え